ETRE & LANGUE

存在とIMAGE

此れは一つの私見…否 と云うよりも一つの単なるイマージュに過ぎない訳だが
私の中で【存在】とは【1】である
勿論前回にも記した様に【1】自体の定義がそもそも曖昧な物ではあるのだが…
さて取り合えずアフェミーを決め込む程洒落者でもないので此処は一つ考察を続けてみようと思う

例えば私は一人の人間である。
そして【私自身の人差し指】は【私自身でもある】
【心臓や腎臓】或いは【眼球や髪の毛や足の指先の爪】もまた【私自身】と云える
では…
一体 何処から何処までが【私自身】なのだろうか?
当然今あげた全てが私自身であるだろう
だが…もしそうだとすると 少々厄介な疑問も生じて来る

つまり…
其れ等は一様に【距離】或いは【時間】と云っても良い
…を所有している事になる

【私の足の指先で起こった事件】は同時に【私自身に起こった出来事】なのだろうが
厳密に云うと其処には既に【距離的時間的差異】が生じてしまっている事になる
更に言えば…
【私】は【私自身のみ】で存在出来ない(多分)
大地や海や空…もしかすると私以外の人々等も必要かもしれない
隣の家で飼われているフレンチブルドッグ
隣町の見知らぬ寝たきり老人などなど…

画家が絵を描く時悩むであろう事のひとつに【輪郭】がある
輪郭を入れるか否か
古くはスーラの点描画 現代美術で云えば草間彌生のドット等々
彼らの作品には輪郭が無い…それはモナド的とも云える宇宙観ではないか
素粒子論の枠内においては
結局 私が今飲もうとしている珈琲カップも…中身の琥珀の液体も
目の前のテーブルも窓の外に見える小高い丘や木や空も
全てが繫がっている…其れはもう否応無くつながっているのだ
其の様に考えると
【孤】と云う概念自体が危ういモノである事が理解出来る
其れは【元々1であったモノ?】を【分離切断】してきたと云う事なのではないのか?
そして其の主役は【言語】である
だからこそ仕掛けられた何等かの思惑のヨウナモノを感じない訳にはいかないのだ

上記UP 20110102




追加記事 20110421
アラユル学問の最先端は同一の課題を目指す…と別の項目でも記しているが
其れ等は【言語と数字の特性】から来るものだろう
科学が大地・空気・水・火と云った基本元素を元にした原子科学から
19世紀後半の量子科学の時代へと移り行く様も…俯瞰して眺めると
科学とは生成・合成そして切断を扱う学問である事が理解出来よう
結局の処其れ等はピラミッド型に枝葉を伸ばし終わりを見る事は出来ないだろう
そして光の量子論も更に切断?を余儀なくされていく
すべては【言語と数字】に依って翻弄されているのだ
一体そうして振り回されながら何処へ辿り着こうというのだろう
臨済宗の坊さんの様な事を云うつもりはないが
在る物は無く…無い物は在
なんて結論に此の侭ではなってしまう事だろう
さて
もし在るのだとしたら…
【数字と言語以外の何か】…とは一体如何なるモノだろう

上記UP 20110421




追加記事 20110724
【意思の集合体】が世界を動かしている或いは世界を成立させている…等と
他項目でも時折【意思】について触れておりますが
【存在】とは其の様な意思の集合体に依って創り出された【1つの生命体】かもしれません
すると…いろいろな人間がいる様に存在もまた複数…
つまり【様々な形態の存在】が無数にあるのかもしれません
ただ そうなると
無数の存在の各々は恐らく【言語】に依って成立しているのでしょうから
それぞれに異なる種類の言語【此の場合の言語とは日本語や英語仏語と云った意ではなく】
もっと更に根源的な言語の意味であって
言ってみれば【存在固有の言語】が支配していると云う事でしょう
【存在】を構成する【意思】の更に【素】となる【要素】と云ったモノ
いずれにせよこうした考えは未だ未だ階層の呪縛の中に在る訳ですが…
逆に云うと階層に支配されている限り其れは同時に何等かの言語に支配されている
…と云う事になるのかもしれません
【1つの存在】と云った物も何等かの言語的な支配の中に在ると云えるのでしょう

上記UP 20110724




【白い石】 


河川敷の細道に 形の整う一つの石が転がっていた

詩は 時として或る種の嘘をつく

呼吸をしていた…

云い方を変えるなら ソイツは振動していたのだ

詩は 嘘 をつく

アラユルモノは動いている…
さて 静止を目指すか?
だとしたら
存在とは未熟な一つの過程に過ぎない

詩は嘘を語り続ける…
では詩は嘘を知っているか?
詩は真実を知っているのか?


今はもう既に其処には無い
一つの石の為に…
語るべきは何?

上記UP 20130316