ところで…
【存在と言語】の関係を考えるに際して若干躊躇するには訳がある
それは【言語と数字】の問題が気にかかるからだ
【存在とは何か?】は古代より続く永遠のテーマかもしれない
だが、実際の処…果たして回答は得られるか?
答えは【NO!】だ…
何故なら【言語と数字】と云ったツールには欠陥がある
【欠陥】とは何か?
其れは曖昧さに他ならない
【数字】は一般的に至極確実な符号と考えられている…が実際は曖昧な代物である
例えば 未だに数字の始まりと終わりを挙げることは出来ていない
1と2の間も無限と思われる
つまり厳密に云えば【1】を定義する事が出来ていないのだ
あくまで仮の符号である事が解る
では
【言語】はどうか?
言葉は元々曖昧なものである…と言われるだろうか?
しかし少しだけ考えて頂きたい
【数字】の元々を辿れば 其れは【ひとつの概念】が始まりではなかったか
そして或いは【言語】は元々【ひとつの記号】ではなかったのか?
故に【言語】が先か【数字】が先かだけの違いである
其れ等は結果的に【言語=数字】である事を物語る
以上の事から解るのは言語と数字といったツールは極めて曖昧な道具であると云う事だ
以前にも記したが…アラユル学問が此の曖昧な道具に依って【真理】に迫ろうとしている
どうだろう?
こうして見ると非常に乱暴で無茶な行為に映るのではないだろうか?
さて
私も同様に此の不確かなツールを使用して此処迄記して来た訳である
真に一つ一つを厳密に意味付けしながら進もうとするなら
そして仮にほんの少しばかりの良識があるならば
誰一人として一歩も前へは進めないであろう
…従って
躊躇しない訳には行かないのである