【黒い馬】…埴谷雄高の小説【闇のなかの黒い馬】ほんの数ページで小説と云えるかどうか…まあ、言ってみれば哲学エッセイと云った感じなのだろうか…は1963年12月号の【文芸】に載ったものである。
闇に浮かぶ黒い馬のしっぽにぶら下がり闇の果て(宇宙の果て)迄連れて行かれ、宇宙…或いは存在の核心に触れる…と云った内容。かいつまんでそう言ってしまうと身もふたもないが、此処で重要になるのは、其の幻想の黒馬につかまり存在の果て迄辿り着く工程であり、其れがスピード或いは移動によるものではなく、自身の…或いは同時に黒馬の【膨張】によるものであったと云う処であろう。…と思う。其れはどう云う事かと云えば、N自身が常に感じている事なのだが、自分自身の存在と云ったものが一体何処から何処までを指しているのだろうか?と云った疑問の事だ。結局宇宙の果てに小さなチリが一つ落ちていたとしたら其れも本来自分自身ではないのか?…と云う意味である。其れ等は勿論Nの勝手な解釈なのだがそうは間違っていない筈だ。此の辺りは別セクションの【ETRE&LANGUE 存在と言語】でも出てくる概念なので其方の方も御参照下さい。
埴谷雄高の素晴らしい処は哲学的バックボーンが在りながら尚且つ詩的に優れた才能を持ち合わせている処であろう。【死霊】等は既存の小説とは次元を異にしており恐ろしい程の長編をほぼ全編哲学的命題の傘に入れてしまっているが…其の様な事が可能であるのも詩的センスを有するが故の賜物である。世界の小説家の中でもとりわけ希有な存在と云える。
彼は哲学者、小説家、詩人等の側面の他にも政治的な面も有していたが、此れは当時の時代背景がそうさせただけの様な気がする。そうした例は同時代の他の作家達についても」いえる事だ。何れにしても真摯な哲学的探究心と詩心のせいで見事な芸術に仕上がっており、そうした意味で彼の作品は普遍性を持ち時代を感じさせる事がない。恐らくそんな事も手伝ってか作品以上に【埴谷雄高或いは彼の作品群に関する解説的書籍類】は驚く程出版されている。